私は46歳の独身女です。今は母親の介護の為、仕事を辞めてしまいました。私には歳が離れた異父姉がいて、16歳年下の甥っ子がいます。20代後半の頃、私は結婚を考えていた彼と別れてしまいました。初めて付き合った彼だったのですが、非常に奥手と言うか消極的な性格で、別れるまでの4年間キス以外の肉体関係はありませんでした。


 

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旅行に行った時も、彼がいつもお酒に飲まれてしまい、出来なくて、それも別れた原因の一つでもあります。彼と別れてから、私は男性不信と自分を卑下する気持ちとが交錯していました。しばらくして、父の体調が悪くなり、当時中学生だった甥っ子が一人で泊まりに来て、父の世話をしていた母や私を手伝ってくれるようになりました。

 泊まる時は、いつも姉の部屋に甥っ子は寝泊りするのですが、姉の部屋と私の部屋は襖で仕切られています。仕事をしていた私は甥っ子よりも遅く帰宅していました。私が帰宅するまでに母と協力して、父を散歩に連れ出し、夕飯を食べさせて、お風呂に入れる頃に私は大体帰宅していました。


 甥っ子が一緒にお風呂に入り、私はその間に夕飯を済ませて、母と一緒に父の体を拭くのが役目でした。父も散々文句を言っていましたが、孫に体を洗ってもらえて、内心喜んでいるのが表情を見ていて分かりました。それから2,3か月たった頃だったと思いますが、夏の日でした。私は仕事の関係で飲んで、その後、一人でも飲んで帰った為、結構遅い時間に帰った時の事でした。

 正直、どうやって帰ったのかも記憶にないくらい酔っていて、気づいたら自宅のベッドの上で朝を迎えていました。しかし、私は全裸で寝ていて、布団はちゃんと掛っていたものの、どことなく体に違和感を感じていました。服もベッドの上や床に放ってあるという言葉が当てはまる感じで落ちていました。


 二日酔いの頭でそれを拾って、別な服に着替えたのですが、下着が上下共に無くなっていました。甥っ子が持っていったのだろうと思い、襖を開けると、幸せそうにまだ寝ていました。勝手に甥っ子が寝ていた姉の部屋を探してみましたが、私の下着は見つかりませんでした。甥っ子が起きそうになったので、部屋を後にして、下に下りると、私の前夜の行動の事で母に怒られてしまいました。

 母の話では、私は玄関に大きな音で倒れ込んで、私が発した音で目を覚ました甥っ子が私を部屋まで運んでくれたそうです。その後、両親が昼寝をし始めた時に、私は事情を聞くため、甥っ子の部屋に行きました。もしかしたら、知らない間に甥っ子に処女を奪われていたのかもしれなかったし、甥っ子の初体験も奪ってしまったかもしれないと言う罪悪感に近い感情を抱いていました。

 甥っ子の話では、私は甥っ子に支えられて部屋に入ると、まだ甥っ子がいたにも関わらず服を脱ぎだしたそうです。下着は一度甥っ子に手渡したあと、甥っ子が突き返し、私は本棚の上に何故か置いていたというのです。その話の通り、私の下着は本棚の天板のところに置いてありました。そこから甥っ子は小声になり、私が少しイライラしながら聞いていると、甥っ子の前でベッドに横になった私は自慰をし始めたと言いました。

 普段、私はまともな自慰行為なんてしたことがありませんでした。近い事をしたと言えば、お風呂に入った時や寝る前に少し触る程度の事でした。恥ずかしさや色んな感情で頭が真っ白になってしまいました。最後に甥っ子は「お姉ちゃん(私)って、キスが下手だよね。やっぱり処女だからかな~」と言ってきて、私は甥っ子の部屋を後にしました。


 ショックが大きすぎて、私はベッドに潜って、いつの間にか寝ていました。起こされたのは、すでに夕飯の時でした。甥っ子が起こしてくれましたが、濃厚なキスをされながら起こされました。甥っ子の手は私のショーツの中に入り、敏感な部分を指先で刺激していました。もう一方の腕は私の首の下に潜りこむようにしていて、突き放そうとしても、離れてくれませんでした。

 それどころか、甥っ子のキスは中学生とは思えないほど、上手で私は自宅じゃなければ、完全に理性を失いそうになるほどでした。甥っ子が何をきっかけに私から離れたかは覚えてませんが、その日の晩に甥っ子は私のベッドに入ってきました。形だけの抵抗をした後、甥っ子にキスをされながら、全てを脱がされて、全身を愛撫されました。

 初めて男性に自分の身を委ねたのはこの時でした。ベッドの中では甥っ子の方が私よりも大人の印象を受けましたが、さすがに最後までは甥っ子もしなかったものの、私の体に甥っ子は精を放ちました。キスをされながら、体を拭かれているうちに、私の腕は自然と甥っ子の首に回っていました。私がタイミングを失って、離れないでいると、私の中に指を入れてきました。



「予行演習」と言われて、私は甥っ子の首に抱きつきながら、痛みに耐えていました。それから毎日のように、生理の日も関係なく、両親の目を盗んで甥っ子は私のベッドに来るようになりました。それから父の様態が悪化し、入院するようになると、母が病院に泊まる事もあり、2人で過ごす時間が増えたからか、私は甥っ子の事を好きになっていました。時折、私の方から彼の服を脱がして、甥っ子のを口に含んだりすることも平気になってきていました。

 私はクリスマス・イブに甥っ子に自分の気持ちを伝えると、甥っ子に処女を捧げました。それから二人の時間を見つけると、どちらからともなく、求め合う関係になりました。年が明けてすぐに父が亡くなりました。その連絡を受けた時も、実は甥っ子と私は一緒にいました。父が亡くなると、甥っ子は私の家にいる理由はなく、自分の家に戻りました。

 それでも、私は甥っ子に姉には内緒でPHSを持たせて、連絡を取り、外で会っていました。甥っ子の中学の卒業式の日の夜、私は友達の家にいた甥っ子を連れ出して、翌日は休暇を取ってしまうくらい、甥っ子にのめり込んでいました。甥っ子の方が冷静でしたが、性欲が強く、本当に一晩寝かせてもらえなかった時もありました。


 一人で身軽になったのか、母は旅行に頻繁に出掛けるようになり、私は家で一人は嫌だからと姉の許可を得て、甥っ子と関係をもつまでになったのです。高校生になった甥っ子は、すぐに同級生の彼女が出来たから、今までの私たちの関係を終わらせたいと言ってきて、私は頭の中では分かっていたつもりですが、体が甥っ子を求めてしまい、1か月もしないうちに、甥っ子にお願いして、体だけの関係は続けてもらう事にしました。

 私はこの頃から、甥っ子に捨てられないように、好かれるように、嫌われないようにと気を回していました。気付かないうちに徐々に甥っ子の言いなりになっていました。念のため、ピルを処方してもらったのも、この頃です。甥っ子の態度も放っておくうちに、助長していきました。私は甥っ子を満足させるために、彼が連れてきた友達たちに彼の目の前で抱かれたり、また自宅に私の友達を連れてきて、酔いつぶして、彼に抱かせたりもしました。

 当時の私は壊れていました。ただ彼に嫌われないようにしているだけで、他の人に迷惑を掛けているという意識は全くありませんでした。ところが、徐々に私の周りからは人が離れていき、気づいた時には、親友すらも私から離れていました。その事を彼に指摘されたのは、彼が高校を卒業する直前でした。


 そこで我に返った私は後悔しましたが、それでも、しばらくは彼から離れられずにいました。彼が大学に入り、アルバイトを始めると、私と同年代のアルバイト先の社員の方を紹介されました。2年弱お付き合いしましたが、その方と肉体関係を持っても、甥っ子には勝てず、不満ばかりが募ってしまい、甥っ子に連絡をしてしまう自分の弱さがありました。

 それから何人か紹介されたり、お見合いをしましたが、結局そんな感じで終わってしまい、甥っ子の方が先に結婚してしまう始末です。回数は減りましたが、たまに甥っ子に今でも抱かれています。





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