もう30年前になる。大学進学で田舎から東京に出てきた俺は、六畳一間のオンボロアパートで暮らし始めた。古い木造アパートだったが、風呂とトイレは付いていた。挨拶に行った隣の住人は、俺と同じ大学の女子学生だった。学部は違ったが同じ1年生で恭子といった。
特に美人ではなかったのが童貞の俺には幸いして、話しかけ易く、すぐに仲良くなった。話をしているうちに、お互い恋人いない歴=年齢と言うことが分かり、何となくいい雰囲気なので付き合うこととなった。 
 俺は恭子を一匹のメスと見ないように努力したが、恭子を想い自慰に耽っていた。でも、お盆で帰省する前日、一週間会えないのが辛くて抱き合い、初めて唇を重ねたら歯止めが利かなくなって、処女と童貞の初体験に至った。 

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 ぎこちない動きの二人は、緊張で震えて、キスするときお互いの歯がカタカタ当たって大笑い。すっかりリラックスして二人で狭い風呂に入った。初めて生で見た異性の裸体に興奮して、俺はフルに陰茎を起てた。恭子はそれを見て目を真ん丸くして「触ってもいい?」と可愛く小首をかしげた。「うわあ…硬いんだあ…こんなの入るかなあ…」無邪気に微笑んだ。 
 布団を敷いて向かい合って座った。「よろしくお願いします。」二人でお辞儀をして「対局か!」と突っ込んだ。完全に照れ隠しだった。ああして、こうして、そうしたらどうして…二人で手順を確認した。クンニ…フェラ…確認した手順どおり進み、いよいよ挿入。なかなか入らなくて苦労したが、方向が合った瞬間一気にヌルッと入った。その時、何かがはじけ「イッツツー」痛みを我慢する恭子が愛しかった。生まれて初めて、女性を愛おしいと思った。愛おしくて抱きしめた。帰省中、ずっと恭子を想っていた。

 田舎から戻った俺を、先に帰っていた恭子が迎えた。すぐに求め合って二度目のセックスをした。恭子は次第にセックスで快感を覚えて、どうすれば気持ちいいセックスが出来るか研究しながら、ほとんど毎日交わった。 
 亀頭で膣の手前上部を押すと恭子は「ンアア」と喘いだ。押しながら奥に進んで、カリで引っ掻きながら戻ると「アアアア~」と身をよじる。緩急をつけてこれを繰り返すのが恭子のお気に入りで凄く悶えた。ボロアパートなので隣近所に恭子の声が漏れるし、絶頂に向かうときの激しい律動が建物に伝わったが、そんなことは気にせず俺達は愛し合っていた。昭和末期とはいえまだバブルの前で、未婚の男女が公然と性生活を営むには後ろめたさが付きまとった時代だったので、住人から「最近の若い者は…」と言う目で見られた。 
 1年生の時はコンドームで避妊したが、2年生からは膣外射精を習得して生で交わった。愛し合う気持ちが、直接粘膜で感じ合うことを欲した。

 俺達は、夏には貧乏旅行をした。周遊券で九州や北海道を巡った。当時は夜行急行が走っていて、寝ながら移動したこともあった。安宿を取れば朝晩交わった。宿中に恭子の声が聞こえただろうが旅の恥はかき捨てた。 
 夜行列車の中でしたこともあった。寝台は高くて乗れないからボックス席で交わった。スカートの下からねじ込んだ。スリル満点だった。

 4年生になった。お互い田舎にUターン就職が内定した。卒業と同時に別れが来ることは悟っていたが、お互いそのことには触れずに愛し合っていた。俺は、大学時代は恭子一筋で過ごした。4年間、毎日のように交わっていたので、恭子と俺は1000回以上セックスしたことになる。恭子のアソコも、4年前とはだいぶ色合いや佇まいが変化していた。 
 3月、別れのセックス…。部屋の荷物は先に実家へ向かった。隣同士、ドアを閉めて鍵を大家へ返した。「あんた達、幸せになるんだよ。」大家は俺達が別れることを知らなかった。 
 東京駅のそばにホテルを取った。夜景を眺めながら、立ったままバックで交わった。最後の愛の交わりを東京の街に見せつけた。 
 翌朝、シャワーを浴びてもう一度交わった。最後のクンニで恭子のアソコを目に焼き付けた。最後のフェラ顔を記憶した。射精したら終わる。気持ちよくなりたくなかったから、あまり動かなかった。でも恭子が抱きつく。激しく舌を絡めて抱き合えば腰が自然に動いた。「ハアアアー」恭子が逝った。俺も我慢の限界だった。恭子の腹上に精液を放った。終わった…

 上野駅、地下ホームから乗り込む新幹線の色は同じ緑色だったが、大宮から先は違う線路を走る。 
「4年間楽しかったよ。幸せになるんだぞ。」「あなたもね…ありがとう。」 
 お互いの実家の連絡先は破り捨てた。前に進めないからだ。もう二度と会うことはない愛しい恭子は、今後どんな男に抱かれるのだろうと考えたら、胸が張り裂けそうだった。

 就職してすぐ、俺は同じ職場の40歳の主任と不倫していた。彼女のご主人が単身赴任を終えるまでの2年間、俺は主任の性欲の捌け口にされていた。23歳だった俺は、40歳のオバサンの女体を怖いもの見たさで抱いた。マイタケの様な黒い陰唇をかき分けてクンニしたら「旦那にもされたことないの」と言って大喜びしていた。抱き心地は柔らかで、陰茎を包み込みトロけるような快感だった。恭子の抱き心地とは明らかに違った。人妻なのでセックス慣れしていて、快楽に溺れる姿が艶かしかった。普段の主任とは別人だった。 
 ご主人が単身赴任を終えて戻ってきたら、綺麗に手を切った。主任には、仕事だけでなく、女性を悦ばせるセックスも教わった。

 俺は25歳の時に実家を出た。5つ上の兄貴夫婦が、子供が生まれたのを機会に実家に入ったのだ。義姉は俺の2歳上なので、俺は遠慮して職場近くのアパートに移った。 
 理由はもう一つあった。後の妻となる当時20歳のお嬢さんと付き合っていたので、連れ込む部屋が欲しかったのだ。色白で少しおっとりとした美人さんだ。かなりガードが固く、付き合って1年、プロポーズしてやっと身体の関係を許された。処女を貰ったら態度が変わり、女房気取りで俺のアパートの合鍵を要求された。週末は俺の部屋に泊まって結婚の相談だった。アパートが職場の近くだったので目撃され、同棲している女がいると噂を流された。慌てて両親と兄貴夫婦に紹介した。俺27歳、妻22歳で結婚した。

 俺も今年は50歳になる。妻は45歳、大学生の娘と高校生の息子がいる。 
 おっとり美人の妻は、二人の子育てを経験してもなお、おっとりしている。でも、夫婦の営みの時はおっとりしていない。不倫していた主任に教えられたとおり、妻にオンナの悦びを教えたので、同一人物とは思えないほどカラダ全体でオンナの悦びを表現する。普段は美しい妻、優しい母だが、とても気持ちの良いセックスができるので、この年になっても俺にとっては魅力的な一匹のメスでもある。使い古しの膣も全く飽きない。

 でも、1回だけ不倫したことがあった。 
 娘が東京で大学生活を送るとき俺がついていった。娘を寮に送り届けたついでに、恭子と過ごした懐かしい街を訪ねた。オンボロアパート跡地は学生向けのワンルームマンションになっていた。そのマンションもそんなに新しくなかった。年を感じた。 
「頑張るのよ、しっかりね。」 
息子を励まし手を振る母親がいた。俺と同じだなあと微笑ましく見ていた。その母親と目が合った。見覚えがあった。恭子だった。二人で懐かしい街を歩いた。そして、学生の頃興味津々で眺めていたラブホ街に差し掛かった。何も言わず恭子の手を握った。恭子は握り返してきた。

 昭和の香りがする淫靡な雰囲気の部屋だった。昔は散々見せ合い触りあったのに今は恥ずかしかったので別々にシャワーを浴びた。26年ぶりに唇を重ねた。バスタオルを外す手が震えた。お互い48歳になってくたびれた身体を見て笑った。 
「私達、年取ったわよねえ…」「あの頃は若かったなあ…」 
クンニしようとした恭子のアソコは真っ黒だった。26年前は俺のものだった。 
「ずいぶん使ったから…」「ご主人に愛された証拠だよ。」 
「その前に、あなたにずいぶんとエッチな色にされちゃってたもんね」「ゴメン…」 
「主人に初めて抱かれた時、私のアソコを見て、いったい何人と付き合ったんだって悔しがったのよ。1人だって言ったのになかなか信じてくれなくて…アッ…ハアッ…」 
俺の陰茎を触りながら、 
「あなたも真っ黒ね。奥様が羨ましい…」 
26年ぶりの交わりは、ゆっくりまったりしたセックスだった。熟年の醜いセックスだったかもしれないが、俺達には感動的だった。生で交わり、恭子の望みで恭子の子宮めがけて射精した。

 東京駅、乗り込む新幹線の色も今はカラフルになっていた。26年前の別れを思い出して胸が熱くなった。 
「元気でやれよ。」「あなたもね。お身体に気をつけてね。」 
「そうだな、もう若くないしな…じゃあ、さようなら…」「素敵な思い出、ありがとう…」 
 今度こそ、もう二度と会うことはないだろう。恭子は、俺の遺伝子を子宮に湛えたまま車上の人となった。可愛いおばちゃんになっていた恭子は、26年前よりイイ抱き心地だった。 
 新幹線の中で、少しずつ気持ちを恭子から妻にシフトしていった。何せ浮気したのだから。しかも元カノと不倫だなんて、妻が知ったら大変だ。 
 我が家に着いた。妻が笑顔で迎えてくれる。恭子も着いたかな?なんて、まだ考えていた。

 あれから何度も東京へ行ったが、あのオンボロアパート跡には二度と近付かなかった。恭子に会ったら、間違いなくまた求め合うだろう。恭子と過ごした時間は、素敵な思い出としてしまっておくのが一番いいのだ。




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